田宮二郎



【概要】
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【遺書】
 私が一生涯 愛を捧げる妻 幸子
 富士山の光が目の前一杯に拡がってゆきます。生まれて初めて、胸が踊った僕の心を幸子は察してくれたのだろう。いくつかの難問をのり越えて、2人は神前に夫婦の絆を誓い合った。
 今も僕は倖せ一杯だ。
 英光と秀晃に、二人が成長すると共にその頃の記憶を、折りあるごとに、伝えて欲しい。若いから東京と京都を毎日往復出来たのだとうか。違う、あれがひとつの愛の表現だった。体力と愛が、細い細いところまで幸子に僕の全てを捧げたのだろうか。いや。今でも僕はそれを意識の中でいつでも出来るような気がする。気がするどころか、あなたの、あのこぼれるような笑顔のためなら、何度でも繰り返せると信じている。
 かごに一杯のリンゴが、目の前に積まれた時の感激を忘れない。僕は結婚以来、がむしゃらに働いた。経済的に誰にも不安を与えたくなかったから。本当は素朴なあたたかい生き方もある筈なのに、それを知りながら、働くことしか生き甲斐を知らない人間になって行った。
 いま、僕に何の趣味があるだろうか?自分と幸子とを結んでいるものを、またあの笑顔で、あるときは、おかしいほどの生真面目さで、手を組んでゆけるほどの連帯感を生むものがあるだろうか?
 すぐに答えられない恥ずかしさしか残らない。いつもいつも小心なくせに、つっぱって、つっぱって、生きている僕の姿。
 それをはらはらしながらなんとか応援しようとしている幸子の姿、心、思いやり。世の中に大声で叫びたい。誰の存在も不要なのだ。
 幸子と英光と英晃さえあれば、何も不要なのだと叫びたい。事実のとうり叫びたい。一緒に歩けば、何も恐ろしいものはない。そう思うと勇気が湧いてくる。幸子は、聡明で、力強く、それでいて最も、虚飾のない女らしい人だと僕にはよく解った。
 十二月一日の夜、青山のマンションから、僕が、麻布に戻る時、「ひとり置いてゆかないで!」と幸子は云った。涙をふきながら、そう云った幸子の顔は、いままでに見せたこともないものだった。「もちろんさ!」と僕は答えた。しかし、心の中をみすかされた僕はあなたの左手をギュッと握ることしか出来なかった。
 もう自分でもとめることは出来ないところへ来てしまった。
 生きることって苦しいことだね。死を覚悟することはとても怖いことだよ。
 四十三才まで生きて、適当に花も咲いて、これ以上の倖せはないと自分で思う。
 田宮二郎という俳優が、少しでも作品の主人公を演じられたことが、僕にとって不思議なことなのだ、そう思わないか?病で倒れたと思ってほしい。事実、病なのかもしれない。そう思って、諦めてほしい。
 英光そして英晃は僕の片鱗を持っている。僕と幸子の血を受け、僕の姿の一部を持っているあの可愛い、二人を僕だと思って愛してやって欲しい。あなたの心を与えてやって欲しい。
 二人の子供は、僕以上に、あなたを倖せにしてくれる筈だ。僕はそう信じる。
 それからお母さんを大切にして上げて下さいね。僕の食事からいろいろ案じて貰った。このことは感謝に耐えられないことだ。
 僕に寄せられた少数の人の厚意は、そのまま、幸子と、英光と、英晃に向けられると思う。また、どうか、向けて欲しいと心から願っています。
 死は全てを解決するものではないけれど、無を等しくするものです。
 十字架を背負って、歩む自分の姿を思う時、死が、全てから切り離され、肉親である幸子と英光、英晃が、僕の面影を折にふれ、親しみ合ってくれればもう僕は満足なほほ笑みを空間の中からあなたたちに返礼します。
 この本一杯に、文章を書くつもりでした。でも書けば書くほど、幸子の悲しみと僕自身の悲しみが増すばかりです。最后に夫婦の契りを絶つ僕を許して下さい。二人の愛らしい子供をたのみます。
 なむあみだぶつ、さようなら
 幸子へ
 柴田吾郎

 俳優 田宮二郎


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