岩脇寛子さん(13)



【概要】
 1988/12/21 富山県富山市立奥田中学校の岩脇寛子さん(中1・13)が、いじめを苦に自宅ベランダから飛び降り自殺。

 寛子さんは先天性免疫性不全症(lgA欠損症)で病弱だった。

 1988/6 廊下を歩いていた時、上級生が突然足を出して両手首を捻挫。学生名簿で名前を調べて担任にも伝えたが、同生徒からの謝罪なし。

 6/27 スポーツフェスティバルの開会式で、後ろから走ってきた男子にぶつかられて鎖骨を骨折。学校は相手不明と回答。骨折治療のために貼った湿布薬で「臭い」と言われるようになった。

 女子生徒が3人、寛子さんを見ながらヒソヒソ話を交わしてメモをゴミ箱に捨てた。メモには、「岩脇死ぬことにさんせい、岩脇殺すことにさんせい」と書いてあった。

 11/ 親しかった友人たちを遠ざけられ、一人で登校するようになっていた。

 死ぬ2〜3日前、親しかった友人が、自分のスカートの裾をつまみあげ、寛子さんの机のそばを「きたない」と避けるように走り去った。そのことを聞かされた母親は、「もうすぐ懇談会だから先生に相談しようね」「友だちなんだから、早く仲直りしなさいよ」と励ましていた。

 死ぬ1ヵ月ほど前から、朝の目覚めが悪くなっていた。また、古いアルバムを取り出し、食い入るように見つめたりしていた。

 怪我で体育の授業見学中に、教師といっしょに草むしりをしながら、寛子さんは「先生、私の体って臭い?」と聞き、クラスのみんなから臭いと言われていると告白した。(寛子さんの死後、初めて両親は聞かされた)

 後に「事故報告書」で生前、寛子さんが何度も担任の男性教師に、証拠の品を持って、いじめられていることを訴えていたことが判明。しかし、根本的な対応はとられず、いじめは沈静化しなかった。担任はこのことを寛子さんの保護者に連絡せず、事件の後も語られることはなかった。また、いじめがはっきりしていたのに、職員会議で議題として話し合われた形跡もない。


【遺言】
 「ねえ、この気持ちわかる?組中からさけられてさ、悪口いわれてさ、あなただったら生きて行ける?私、もう、その自信ない。
 せっかく育ててくれたお母さん、お父さんには悪いけどさ。○恵、ありがと。お母さん、お父さん、ありがとう。本当にありがとう。
 でもみんなは、たかが「いじめくらいで……」ていうのもいるよ。けど、私のはそんなにあまくない。
 ありがとう。私にやさしくしてくれたみんな。ここまで育ててくれたお母さん、お父さん。
私は、この世が大きらい だったよ。
 私はあなたたちをゆるさない。
 1年3組Aさん、Bさん、Cさん、Dさん、Eさん、Fさん、
もう、だれも、いじめないで……。」
 ※(○恵というのは、小学校卒業目前に転校した友人の名前)

「水の流れる方へ行け そのまままっすぐ玄関へ
赤いくつをはき、玄関を出て、まっすぐすすめ
やがて死がまっている」


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