鹿川裕史くん(13)



【概要】
 1986/2/1 東京都中野区立富士見中学校の鹿川裕史くん(中2・13)が、父親の実家に近い岩手県・JR盛岡駅構内のトイレで首吊り自殺。

 3年生が2年生をつかって1年生を殴らせる“やらされ”を裕史くんは命じられて、父親に相談。父親の注意により直接3年生との接触はなくなったが、同級生からのいじめがひどくなる。

 1985/6 2年生の1学期半ばから、7〜8人のグループに使い走りをさせられていた。グループ以外にも便乗して、使い走りを頼むものもいた。学校を抜け出してジュースや肉まんを買いに行き、何回か教師に見つかって取りあげられた。そのたびに、「ドジを踏んだ罰」として殴られた。

 1学期の終わり頃、いじめっこたちが裕史くんの家に来て、ドアを蹴飛ばした。

 2学期になって、裕史くんは学校を休みがちになる。

 2学期に、エアソフトガンの標的にされ、足や尻を4発ほど撃たれた。
 同じ頃、二段跳び蹴りの的にもされ、一度は胸に当たり、1メートルも吹き飛ばされたことがあった。

 9/中旬 グループ全員分の買い出しを一人ずつ買いに行かされたりした。
 裕史くんは自宅のあるアパート8階から、エレベーターを使わずに買い出しに行かされたりした。

 裕史くんには、ひんぱんにまばたきするくせがあり、緊張するとますます回数が増えるのを、グループの一人に「3秒に1回の割合で、よしと言ったら、まばたきをしてもいい」と命じられ、守れないと殴られた。

 移動教室のバスのなかで、サザンオールスターズの歌を15曲、歌わされた。

 10/初め グループは3年生の似たようなグループと一緒にバンドの練習をはじめた。歌のうまい裕史くんがボーカルに指名された。しかし、3年生の分の使い走りが増えた。

 10/ 顔にマジックで、右目の周りに丸、鼻の下にヒゲを書かれて、廊下で踊りをやらされた。

 11/ 父親が担任教師に「いじめをやめさせてほしい」と頼むが、効果なし。

 グループはクラスメイトに、裕史くんを無視するように言っていた。

 11/15 欠席した翌日、裕史くんが登校すると葬式ごっこの形跡が残っていた。いじめグループがリードして、テレビの人気番組をヒントにして、級友らが机の上に花や線香を飾り、“葬式ごっこ”をする。追悼の色紙にクラスのほぼ全員が寄せ書きし、担任教師(57)を含む4人の教師も署名をしていた。

 12/中旬 いじめグループが裕史くんに缶コーヒーを買ってこさせたが、冷たかったことに腹を立てて、野球拳を強要し、自分はジャンケンに負けても服を脱がず、裕史くんだけに服を脱がせた。そのうえ、石のすべり台に胸や背中をつけて滑らせたあと、鳥肌がたった裕史くんに、口に含んだ水を2回吹きかけた。

 校舎の壁の雨どいを登らせたり、いやがる裕史くんに1年生とけんかをさせた。

 12/ 裕史くんはタイマンを張らされる。父親に「誰に張らされたか」と問いつめられた裕史くんがFくんの名前を言ったため、父親はFくんの家に怒鳴り込んだ。しかし、実際にはAだったことが判明。父親はAの家にも怒鳴り込んだ。Aは、裕史くんが使い走りの残金を黙って使ったためタイマンを張らせたと言い訳をした。父親はAらの家に「うちの息子につきまとうな」と抗議した。そのことで裕史くんは殴られた。

 裕史くんは、登校しても職員用トイレや保健室、体育館裏に隠れていた。

 冬休み直前の頃、屋上にポツンと裕史くんが佇んでいるのを教頭が見た。
 この頃、「裕史ころすぞ」という電話が何回か自宅にかかっていた。

 1/8 3学期の始業式の日に、金を要求されたが持っていなかった」ため、グループに殴るけるの暴行を受けた。血に染まったカッターシャツを脱いでかばんに隠し、帰ろうとしたときに、3年生の1人に校庭でまた殴られた。耳の付け根を切り、耳の内部も出血する傷を負う。
 教頭が2回目の暴行場面を目撃していた。電話をすると、殴った上級生も裕史くんも、「そんなことはなかった」と否定。そのままにしていた。

 1/16-21 朝、学校へ行くと言って家を出るが欠席。近くの病院の待合室で過ごすことが多かった。

 1/22 体育の時間に見学していたとき、グループに捕まって、職員室前の校庭のプラタナスの木に登らされ木をゆすられながら、歌をうたわされた。担任教師らが止めに入ったが、グループに積極的な指導をしなかった。

 1/30 3学期の始業式のあと欠席を続けたが、自分で学校に電話をかけて助けを求めた。一度相談に行くことになって学校に行ったところをグループの一人に見つかり、いじめられようとしたが、居合わせた女性教師に「先生、オレを助けてくれ」と頼み、女性教師は裕史くんと一緒に相談室に電気を消して隠れ、担任に引き継いだ。グループは学校中を探し回っていたが諦めて引き揚げた。その後、下校口に行くと、靴をトイレに投げ入れられ、水浸しにされていた。この日は、母親に迎えに来てもらって帰宅。両親に「もういやだ」などと漏らしていた。

 1/31 午前8時過ぎ、通学バックをもって家を出る。4万5千円をもって家を出たが、亡くなったときには財布には340円だけだった。所持品には、途中で購入した「ケースランド」(桑田佳祐著)、「幸か不幸か」(ビートたけし著)、「やったね!元気くん」(保坂展人著)があった。

 2/1 新幹線に乗って盛岡へ(父親の郷里で、当時叔父が住んでいた)。当時夜9時半頃、JR盛岡駅構内のトイレで首吊り自殺。

[葬式ごっこの色紙内容]
 「かなしいよ」(担任教師)
 「さようなら」(別の教師)
 「やすらかに」(別の教師)
 「天国に行ったらパンチパーマにしろ」「いなくなってよかった」「やすらかにねむれ」「なんでもいいよ」「バンザーイ」「昨日まで元気だった君がまさかこんなことになるなんて、親友の僕には信じられない」「いい想い出ありがとう」「君はいいやつだったね」「今までつかってゴメンね。あれは愛のムチだったんだよ」「ラッキーじゃん」「なんでもっとうたってくれなかったの」「だいすきよ」「ざまあみろ」「つかわれるやつがいなくなってさびしいよ」「おれは、むじつだ」


【遺言】
 家の人、そして友達え
 突然姿を消して申し訳ありません。くわしいことについては○○とか××とかに聞けばわかると思う。
 俺だってまだ死にたくない。だけどこのままじゃ「生きジゴク」になっちゃうよ。
 ただ俺が死んだからって、他のヤツが犠牲になったんじゃ意味ないじゃないか。だからもう君達もバカな事をするのはやめてくれ。最後のお願いだ。


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